【横塚裕志コラム】日本電産・永守氏、新型コロナ「利益至上」見直す契機

ポストコロナを考えるうえで大変示唆に富むお話だと思うので、その内容を抜粋してお伝えするとともに、少しだけ、ポストコロナを展望してみたいと思います。 永守氏が今回の新型コロナで、ご自分の経営手法を反省しています。これだけ立派な実績を残されてきた方が「反省」していると語っています。それだけ、新型コロナの猛威が経済的にも世の中をひっくり返す大きな事象なのです。 反省の弁の要旨をまとめると以下の通りです。 今回の新型コロナで大いに反省している。自分の手法がすべて正しいと思って経営してきたが、間違っていた。「利益至上主義」を改めて「自然との共存」という考え方に変えていく。地球温暖化がこれらのウイルスを生んだとも考えられる。収益が一時的に落ちても社員が幸せを感じる働きやすい会社にする。50項目ほど変える。今この時期、反省する時間をもらっていると思い、日本の経営者も自身の手法を変えてほしい。 ポイントは、「利益至上主義」を改めて「自然との共存」にしていくという経営の大転換だと思います。このことを私なりに解釈すると、次の通りです。 徹底して利益を求める経営はとにかく効率だけを求めて活動してきましたが、結果、馬車馬のように働き家庭を顧みない社員ばかりをつくってきたし、地球温暖化に表れているように美しい自然を破壊にすることにつながり、ひいては、それが新型コロナを生み、結局、私たちのビジネスが破壊される危機を招きました。これを改めないと、またウイルスの猛威と戦う羽目に陥ります。だから経営手法を全面的に変える、ということと理解します。 では、「自然との共存」とはいかなる経営でしょうか。 さまざまな捉え方があって、たぶん正解がたくさんある問いでしょう。このテーマは、私たちが目指すべき方向を指し示している北極星のようなものだと思います。私が考える「自然との共存」という経営について、ポストコロナを展望しながら考えてみました。 私が考える新しい経営とは、「意図がある経営」です。従来の大量生産・大量流通・大量消費という経営は、効率という無色透明で画一的なものを追求するもので、その中に「人間の意図」とか「想い」がなく、機械的で冷たいものでした。故に、大企業の社員は全員同質で何も考えないロボットのような存在になってしまったのです。利益が出ている会社が偉い、とか、効率的に働ける社員が偉い、とかという幻想が社会を覆い、上から目線で横柄な社員をつくり、自然が与えてくれた幸せ感、家族感、四季をめでる気持ち、文化を楽しむ心、などの優先順位が下がってしまっていました。 今こそ、自然の中に存在するという本来の人間を取り戻し、幸せな社会を作ろうとする経営が求められ、それは、商品・サービスのなかに本質的に「意図」「価値」を作っていく経営なのではないでしょうか。 第一勧業信用組合の新田理事長へのインタビュー(日経新聞2020年4月21日)によると、今、同信用組合では、苦労している取引先に対して「資金繰りは任せろ、一緒に乗り越えるぞ」と激励し、経営者と一緒になって新たな売り上げを作る工夫をしています。「信用保証協会の100%融資につなげるだけが金融機関の仕事ではない」と奮闘しているのです。 金融機関は、経営者と一緒になって「ポストコロナでも生き残れるビジネス」に変容するべく、同じ想いを持った企業に対して、「意図」をもって融資するというモデルに変革し始めています。 農業も、今までは「マーケット」という大量消費の受け皿に対して栽培してきましたが、これからは、例えば、形はいびつでも自然農法で栽培したものを好む方々に「意図」を持って提供していくような産業に変容していくでしょう。 コンサートも、広い会場で色々な人を集めるのではなく、「意図」をもって演奏するプレイヤーがその意図を感じたい方のためにオンディマンドで有料配信する形が現れるでしょう。 さて、あなたの会社のポストコロナをどう考えますか。

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