【横塚裕志コラム】外国人と日本人との違いが創造性を醸成する

「創造」には「多様性」が必要だと言われているが、そのフレーズだけだとあまりその本質を理解しにくい。ただ、私の経験で言うと、実際に外国の方と接する機会があると、日本との違いに驚くことが多々あり、自分の認知機能に刺激が走る経験を何度も繰り返す。この体験が私の世界観を広げているように思う。いくつか例を挙げてみよう。

まず、プライベートな旅行の体験からいくつか。
何年か前にカナダに旅行した時、寒いので手袋を買ったら商品をそのままポンと渡してくれた。外国ではレジ袋はとうの昔になくなっていた。

クラシックのコンサートに行って驚くのは、「携帯の電源をお切りください。まもなく開演です。」とかのアナウンスやブザー音が一切ない。自立した大人の集団という前提なのだろう。わざわざ当たり前のことはアナウンスしない。そして、全員が決まった時間に席に着くし、携帯音を鳴らす人はいない。また、開演前なら写真を自由に撮れる。まあ、写真を撮っている人は日本人くらいしかいないが。
写真といえば、美術館でもNO FLASHなら撮影OKというところが多い。日本ではほぼ無理だが、ずいぶん違うものだ。

次に、仕事における体験からいくつか。
まず、自分のスケジュールに関することで驚くのは、世界でも有数なビジネススクールであるIMDの教授でも、大きな機関のヘッドでも、自分のスケジュールは自分で決めていることである。これは一見当たり前のようだが日本は違う。日本では、それなりのポジションの人とアポを取ろうとすると秘書の方と調整してくれと言われる。どちらが正解ということはないが、「そのあたりの日程は空きがないが、この日のランチを一緒にどうか」という代替案を作れるのは本人だけだと思うし、さらに言えば、重要性を考えて既に入っているスケジュールを動かしてでも何とかしようという判断は本人しかできないように思う。そういう大事な判断を他人に任せるという日本人の考え方は変えたほうがいいと私は思う。

また、意思決定が早くその範囲も明確だ。DBICがまだできていない準備段階のときに、IMDのマイケル・ウェイド教授に来日してのDX研修をお願いしたら、「そういう趣旨ならOK」と即決で、一方で、「ギャラは経理と打ち合わせてくれ」とその範囲も明確だった。意思決定の速さには驚いた。極東アジアの国で、まだできてもいないNPOの、初めて会った知らない人から頼まれて、1週間の研修を即断するなんて、日本の方ではありえない。「社に帰って議論したうえでご回答します」と答えたまま、放っておくのが日本の通常だと思う。

日本で仕事をしているスリランカのSEの方々と、日本のソフト会社のSEの方々とでワークショップをしたことがある。とても刺激の多い体験だった。
テーマを「システム開発のプロジェクトが1か月ほど遅延しているとき、どのように対応するか」として、意見交換した。
日本のSEは、遅延の原因がユーザー側の要件の決定遅れが原因であれば、そのキャッチアップ策を検討するようにユーザーに申し入れる必要があるので、遅延の原因をしっかり分析することが大事という意見が多い。それに対して、スリランカのSEは全く異なる意見だった。「プロジェクトが遅延すると、再度仕事をいただくことができなくなるから、自分たちで解決する手段を探して実行する」というものだった。彼らのド迫力に日本人一同ビビったわけだが、この体験一つをとっても日本のSEには衝撃的な体験であり、大事な宝物を拾わせていただいた時間だった。

私の少ない体験からいくつかの事例を書いたが、要は、考え方が違う外国の方との対話が、金太郎飴のような画一化した日本人には絶対必要な薬だということだ。自覚がないままに画一化している日本人にとっては、外国人との接触がすごく大きい刺激になり世界観が広がる契機となることは間違いない。これは、体験したことがない方には想像がつかないことなので、気が付いた機関が提供するべき体験プログラムだと思う。
コロナ禍でなかなか自由が取り戻せない状況にはあるが、このような体験をDBICとして提供したいと考えている。ただ、どのようなプログラムで体験いただくのが効果的か、英語の壁をどうするか、そもそもメンバー企業が希望するのかどうかなど課題は多く、簡単ではない。

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