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【レポート】企業変革実践シリーズ 第5回: 事例で語り合おうDXの「ビジョン・勇気・仲間たち」 ~社員1,000人が関わった住友生命の営業端末更改プロジェクトから~

開催日:

2020年11月25日(水)、DBICでは企業変革実践シリーズの第5回オンライン対話セッションを開催しました。テーマは、事例で語り合おうDXの「ビジョン・勇気・仲間たち」。セッションは、住友生命保険の百田牧人さんとDBIC代表の横塚裕志の対話形式で行われました。住友生命は数年前、ライフデザイナーと呼ばれる営業職員が使うタブレット端末の更改にあたって、社員1,000人が関わるという大規模な更改プロジェクトを敢行しました。今回は、「青空プロジェクト(営業端末の更改を機に、顧客体験の変革を狙うプロジェクト)」を実践した住友生命の百田さんと、「抜本改革プロジェクト(システムが使いにくい、を機に、商品・プロセスの変革を狙うプロジェクト)」を実践した元東京海上日動の横塚の2人で、それぞれボトムアップ型・トップダウン型とタイプが違う変革プロジェクトを題材に苦労話を本音で語り合い、DXプロジェクトを進めるためのキーポイントを探ってみようという企画です。

本レポートでは対話セッションの内容を再構成してお伝えします。

横塚裕志:皆さん、こんばんは。今回は、私と住友生命の百田さんと対話をする形式で、DXプロジェクトを進めるためのキーポイントとは何かといったことについて話しを進めていきたいと思います。まず、百田さんから、社員1,000人を巻き込んで推進した3年にわたる営業端末更改プロジェクトの概要について語ってもらい、その後、質疑応答。その後、私が経験した東京海上日動での抜本改革プロジェクトについてセッションを行いたいと考えています。今日は、20人強という少人数なので話しの途中で割り込んでもらって意見交換をしながら進めたいと思います。それでは百田さん、宜しくお願いします。

百田牧人:こんばんは。住友生命の百田です。今日は語り合おうという趣旨ですので、横塚さんから冒頭ありました通り、お気づきの点があればいつでもチャットに書き込んで下さい。今日お話しするのは住友生命が数年前に取り組んだ「青空プロジェクト」という一風変わった名前のプロジェクトです。弊社の営業職員、ライフデザイナーと呼んでいますが、彼女たちが使う携帯端末の更改に伴うプロジェクトのお話しです。営業端末の歴史は結構古くて、いまから25年前に初期端末を導入していました。いわゆる保険料を計算するためのツールです。これが段々進化を遂げまして、2000年代に入ってきますとノート型パソコンになったり、10年前にはタブレット端末に姿を変えました。お客さまの前で、保険の提案などをする時に欠かせないツールです。それで、このタブレットを更改する時期に来たぞ、さあどうしようというのがプロジェクトの出発点でありました。弊社のライフデザイナーは全国に3万人いますけれど、この営業端末が使いやすいか否かという問題は職員の働き方に凄い影響を与えます。住友生命ではこの更改を大きなチャンスと捉え、抜本的な付加価値を付けようと考えました。このプロジェクトが非常にユニークだったのは「ボトムアップ型」のアプローチだったことです。自分たちで課題を定義して自分たちが熱量を注げるゴールを設定し、そこに向かって全員が走り切った、そんな道のりのプロジェクトでした。構想策定から施策・立案、教育・移行期間を経てローンチまでの3年かかりました。最初の1年間は各部門から集められたコアメンバー約20人が本業と兼務しながら、コンセプト策定とか現状調査・分析に注力しました。その後、開発・テスト・教育を行うのに2年を費やしました。
20人からスタートし、最終的には延べ1,000人がかかわる非常に大きなプロジェクトになりました。当時のシステムは"建増し温泉旅館"と呼ぶのに相応しい状態で、いろいろな部門がいろいろなやり方でシステムを作っていて、複雑怪奇な状況になっていたのが実態でした。それが密結合していたので、それを解きほぐしたり、不要なものを捨て去るのが大変でした。ただ、最終的にはライフデザイナーから凄く使いやすくなったとか、お客さまが感動してくれたとか、あるいは新人に教える手間が格段に減ったといった声を聞くことができました。これは本当に嬉しかった。
ところで、このプロジェクトを進めるにあたって、会議のやり方を大幅に改善したり、その結果、私たちメンバーのカルチャーも随分変わりました。それまでの会議といえば、ヒエラルキーがしっかりして硬い雰囲気で、若手が思ったことを発言しづらいものでした。また、みんなが下を向いて一生懸命資料を読み合わせる、ホワイトボードは使わない、そんな会議がかつて普通でした。
ですが、私たちのプロジェクトではとにかく全員参加型を目指し、結果的に非常に闊達なものになりました。それを実現するために、"心理的な安全性"を確保して、年次とか組織とかの壁を取り払って、率直に思ったことをぶつける、バリバリ板書して議論を可視化するように心掛けました。そのため、全員が建設的な議論をするようになり、凄く濃密でしかも若手がどんどん臆せず出てくるようになりました。シャイな若手も前に出てきて発言するカルチャーが醸成されたのです。

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百田牧人:この青空プロジェクトでは、意見やアイデアをぶつけるだけでなく、価値観や思いをきちっとぶつけ合おうということを大事にしました。当時の営業端末というのは外出先でお客さまとお会いする時にあまり使われていないという状況にありました。理由は重いからとか、嵩張るからとか、通信機能が弱いからといった物理的な要因が指摘されていたのですが、いろいろなバックグラウンドを持つメンバーが集まって議論した結果、「そんな表面的なことではないだろう。そもそも使うメリットがないのではないか」というダメ出しの意見も出されるようになりました。それ以外にも、ライフデザイナーの本心は「お客さまにありがとうと言われたい」のだと。それを支える端末になっていないのではないかと。そうした本質的な議論になっていきました。それじゃあ、それを実現するためにはどういった機能が必要なのかを徹底的に掘り下げるという作業を繰り返しました。

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百田牧人:そうした中で誕生した軸となるゴール・コンセプトが上の図です。「青空の下で良い顧客体験を」というものです。お客さまにしてみれば、保険を検討する時、加入する時、継続する時、保険金を請求される時、「住友生命のライフデザイナーに相談して良かった」、「気持ちの良いサポートを受けられて良かった」と思ってもらえるかが大事です。
そのためには組織の壁を越えて、情報をシームレスにつないで、操作性を圧倒的に向上させる。そのためにユニバーサルデザインを取り入れました。とにかく関わる人全員が相当な熱量を投じてくれた。フェーズが進むほど、その輪がどんどん大きくなっていき、延べ1,000人を巻き込むプロジェクトになっていったのです。そして若手が勝手に成長してプロジェクトをどんどん引っ張ってくれた。そういう"正の循環"が生まれました。これが感動的だったので、なんとか知的体系を残したくなり、「ファシリテーション型業務改革~ストーリーで学ぶ次世代プロジェクト~」(日本経済新聞出版)という書籍を今年8月に刊行して、各方面から反響を頂いています。ここまで、ご清聴ありがとうございます。では、横塚さんにいったんお戻しします。

横塚裕志:百田さん、ありがとうございます。ここからは私の方から質問をする形で、青空プロジェクトの本質について掘り下げていけたらと思います。まず、このプロジェクトを立ち上げる「きっかけ」となったのは何ですか?また、当時、どのような危機感があったのでしょうか。

百田牧人:端末の更改なのだから、ミニマムなことで言えば、外側だけ変えれば良いという意見もありました。それを敢えて、リスクを取って大幅な更改に漕ぎつけたのは経営層の想いがありました。担当役員であるとか、情報システム部長であるとか、商品部長であるとかが、このプロジェクトは若いメンバーに任せようと最初から言ってくれたのです。これが非常に大きかったかなと思います。現場に近いメンバーの方がどういう課題があるのかが一番分かっているはずだし。フットワークも軽いしという判断でした。

横塚裕志:その若者に任せようと思った理由、危機感は何だったのでしょう。本を読むと情報システム部長の汐満達(しおみつ・とおる)さんが言い出したらしいけれど。彼がどんな危機感を持っていたのか。それが知りたいですね。

百田牧人:汐満自身もこの更改プロジェクトに長く携わってもらいました。この端末はどんどん進化していくのですが、問題は縦割りの組織で作られていたことでした。この端末の位置付けが上がっていくにつれ、いろいろな部門が活用するようになるのですけれど、全体のコーディネーター役がいなくて部門ごとにコンテンツを作っているのが問題でした。プロジェクトが終わった時にも言われたのは、壁を壊して若手が躍動する、その過程の中で成長して欲しい、真に良い端末を作って欲しかったいうことでした。

横塚裕志:私も情報システム部に長くいた経験があるので思うところがありますが、情報システム部の立場では全社を巻き込んでシステムの中身を大きく変えようと言い出しにくいけれど。

百田牧人:当時、私はユーザー部門にいて要件定義をする立場にいたのですが。うまくいかないプロジェクトというのは往々にして、「私考える人、私作る人」みたいな感じで、システムが受け身になりがちな時ほどうまくいかないと思います。汐満はどちらかというとそういうものを超えて本来あるべき姿にしたいので、リスクをとってくれた。その意味でリーダーシップは大きかったと思います。

横塚裕志:百田さん自身は何故このプロジェクトに参加しようと思ったの?

百田牧人:京都や大阪の支社で営業まわりの仕事を経験していたのですが、端末がライフデザイナーの仕事に凄く影響を与えると実感していました。これを変えるということはお客さまにも影響を与えることだし、ライフデザイナーの働き方も変えるし、そんなことで声を掛けられた時にはやりがいがあると思いました。

横塚裕志:住友グループという企業文化を考えると、よく組織横断的なプロジェクトが立ち上がったなあと思うのだけれど・・・。

百田牧人:実は、立ち上げの時に外部のコンサルティング会社に入ってもらいました。コンサルティングからは「とにかく、フラットな環境をつくりましょう」と言われました。年次とか組織の壁をどう崩すかというところに凄く腐心して、良いプロジェクトの立ち上がりができたのがひとつ大きかったのかなと。

横塚裕志:参加者Aさん、何か、コメントありますか?

参加者A:こういうプロジェクトを進める時に、その期間中、人事異動などでメンバーが変わると思いますが。気を付けたことを教えてください。

百田牧人:2つあると思います。まず、プロジェクトが進むにつれて人が増えていきました。最初は20人でスタートして、どんどんいろいろな部門から参加してくるわけです。その都度、「何故、私たちは更改プロジェクトをやりたいのか」をとにかく丁寧に説明しました。それまでの経緯や何故、ここまで熱量をかけてやるのか、すべてのフェーズでお客さまに良い体験をしてもらうためのコンセプトを説明しました。お手製でアニメーションをつくって、実現したいことを繰り返し説明しました。エンジニア部門は大阪にいたのですが、そこにも頻繁に出かけていって、何故、これをやりたいのかをこんこんと説明しました。
2つ目は、人が変わることへの対応です。3年間のプロジェクトになるので、人が入れ替わらざるを得ません。ここも同じように新しいメンバーにはじっくりとコンセプトから、やる意義などについての説明を繰り返しました。

横塚裕志:このプロジェクトは、チームで対話しながら本当に目指すビジョンに辿り着いたと聞いていますが、その辺りの話しを教えてください。

百田牧人:コンセプトづくりに1か月くらいかけました。コンセプトといっても抽象的で、本当に必要なのかと思ったのですが、ここはコンサルティング会社の意見を素直に取り入れました。結果的に、これが非常に良かったと。何故なら、20人くらい集まってきた時に、表面的にはみんな良い端末を作りたいと思っているのですが、よくよく確認していくと微妙に違いがある。私は、当時営業企画にいましたからライフデザイナーの生産性を上げられることを第一に考えていました。ところが新規契約を担当する部門の人は、新規の契約時の電子化をしてペーパーレスにできることが一番大事なのだとか。良い端末を作るということは何となく一致しているのだけれど、氷山モデルで価値観とか思いを掘り下げていくと、それぞれ微妙に違う。そんな時に20人が懸命に対話しながら、お客さま本位のコンセプトを決めることが出来たから、納得感がありました。

横塚裕志:チームで議論する時に、さきほど言われた心理的安定性がもの凄く重要な役割を果たしたと思うのだけれど。

百田牧人:はい、1つはプロジェクトのオーナーがとにかく部門横断で風通しの良い議論ができる環境を作れと言ってくれたことです。参加メンバーがラインから離れても安心して活動できたこと。もう1つは私たちがそういう文化を作ろうと決めたことです。グランドルールというものを作って、年次は一切気にせずコミュニケーションしようとか、部門の利益代表者ではなくて一職員としてお客さまのことを考えることとか。それをお題目にせずに議論の中で、このグランドルールに則って言いたいことを言おうと。お互い非難は絶対にしない。自己否定も厭わないという文化を作っていきました。これがあると若手がもの凄くやる気を出すのですね。

横塚裕志:参加者Bさんからチャットが入っていますので、Bさん、お願いします。

参加者B:コンセプトづくりに1か月の時間を掛けたということですが、ファシリテーション役はどなたが担当されたのですか。そこにおける苦労話も教えてください。

百田牧人:実際、コンセプトをまとめる時にはコンサルティング会社に助けてもらいました。私たちはそもそもファシリテーションという言葉も当時分かっていない状態でした。プロジェクトを進めるにあたって、こんなにフラットな組織で良いのかと思ったくらいでした。このプロジェクトの面白いところは、コンサルティング会社が5か月間で離脱して、その後は私たちだけで走らざるを得なかったことです。なので、コンサルティング会社からいろいろなノウハウを盗もうと。ファシリテーションもそうだし、板書の仕方もそうだし、議論の可視化もそうだし、節目節目で行う振り返りなど、盗めるものはなんでもというかんじでした。コンサルティング会社が途中で抜けたのは痛手でしたが、その後は盗んだ手法を使ってがむしゃらにやりました。有難かったのは、そのコンサルティング会社が教えてやるではなく、一緒にやりましょうというスタンスでいてくれたことです。ノウハウはどんどん盗んでくださいというスタンスだったのです。いろいろな研修もやってくれました。

横塚裕志:次の質問は、どうやって、ひとつのゴールを目指す熱いチームに成長していったのかです。

百田牧人:チームビルディングを凄く大切にしました。メンバーが集まって、最初の挨拶後は、腹の探り合いから始まるわけです。その後、必ず訪れるのは「混乱期」です。さきほど触れましたコンセプトづくりの時も同様ですが、コスト削減に重きを置く人、ペーパーレスに頭がいっている人、ライフデザイナーの生産性向上、お客さまの利便性を考えている人といった具合に、人によって微妙に違いが生じている。そこでは何故そう思うのかについて掘り下げた議論をしました。そうすることによって、ビジョンが出来て、じゃあ、この方向にみんなで進もうと。ありがちなのが表面的なコンセプトをつくって走り出すことです。

横塚裕志:それでは参加者Cさん、どうぞ。

参加者C:こうしたプロジェクト推進にはかなりの熱量が必要だと感じますが、コロナ禍で今後、増えてくるリモート時でのフィロソフィー伝達で工夫されていることがあれば教えてください。

百田牧人:情報の共有であればリモートでも十分に、むしろ効率的に伝えられると思います。熱量の伝え方ですが、リモートの会議であってもある程度、醸成できると思います。信頼関係をつくっていくとか、普段のコミュニケーションを大事することです。人は単純接触効果があるので多く会えば会うほど信頼感が増すわけですね。いま試験的にやっているのがマイクロソフトのTeamsをつなぎっぱなしにすることです。軽い雑談をリモートでする。これも心がほぐれる効果があるのかなと。あらゆる工夫をして心理的安全性を確保したり、熱量を作ったりということをやっています。

横塚裕志:参加者Dさん、質問がありそうですね。

参加者D:若手社員のモチベーションを長期間維持するのに大切なことを教えてください。

百田牧人:メンバーのモチベーションを維持するために「隠れた貢献度の可視化」をやりました。例えば、1週間に1度、メールで振り返りをするのですが、良かったこと、改善が必要なこと、もやもやしていることをフラットに共有しました。その中で誰々がこういう貢献をしてくれたよとか、誰々のお陰で何々がスムーズに進みましたとか、会議の準備で誰々がこういうことをしてくれていましたとか、これは結構やりました。これがモチベーション向上につながったと思っています。もう一つ、「サンセット」と呼んでいて、プロジェクトの節目、3か月とか半年に1度、集中討議をして振り返るのですが、その時に全員が寄せ書きをするのです。例えば、この半年、若手メンバーの誰々が頑張ってくれたから助かったとか、こういうところが成長したよとか、そうした30人が書いた寄せ書きを若手がもらえるわけです。そうするともう感動して、中にはそれを印刷して大事に手帳に入れている若手も出てきました。こうした工夫で隠れた貢献度を見える化していました。

横塚裕志:なるほど。ところでプロジェクトが途中で破綻しかけたことはなかったですか。

百田牧人:なかったですが、日々、小さな問題は生じていました。その中で重要なのは、問題の報告の仕方です。悪いことはどんどん上げる、上がるようにする。早期に発見できれば何とかなるという文化形成を心掛けました。発生した問題の仕分けにも気をつけました。これは自分たちだけで解決できるものなのか、経営層と早めに相談しなければならないものなのかです。そこは凄く意識したところです。振り返りも進捗管理の振り返りではなくて、「もやもやしていることありませんか」とか、「ちょっと困っていることないですか」という風に文化を良くするための振り返りです。もちろん、普通の進捗管理も別にやっていますけれど。そうした雰囲気が出来ると、私たちがこういう機能を付けたいと言うと、若手がプロトタイプを作ってくれるようになりました。パワーポイントでこういう動きになりますといった具合です。

横塚裕志:私からは最後の質問です。このプロジェクトですが経営会議のゴーサインはどんな形で出たのか教えてください。

百田牧人:コンセプトをきちっと説明した後、現状では部門ごとにデータが分断していてシームレスになっていないため、いまの端末では良い顧客体験をしてもらう環境が整っていない。その解決策を説明しました。もう1つ重要だったのはコミュニケーション・プランというものを最初に作ったことです。事前に、社長や副社長、担当役員がどの点に関心があるのか、ヒアリングをしていました。ブリーフィングをしてフィードバックをもらうということもしました。

横塚裕志:ここで、参加者Eさんから質問が来ました。Eさん、お願いします。

参加者E:チームの外の人たちにはどう説得していったのですか。

百田牧人:派遣された部門に対しては、その人が説明に行きますが、ちょっとでも不安があるようなら、私たちも同行するようにしていました。もちろん、どの人にはどう説明しようかというコミュニケーション・プランを事前に作って対処しました。トップへの説明ですが、「ステアリング・コミッティー」というのを設けて、社長や副社長は3か月に1回くらいの間隔で報告して、意見をもらい、次のフェーズに進んでいました。ただ、それだけですと、頭でっかちになります。それで、2~3か月にわたる現地調査をしました。全国20から30か所の支社に出張してライフデザイナーにどんなことで困っていますかというヒアリングです。「どういうところが問題ですか」、「どんな使い方をしていますか」ということを仔細に聞いて、徹底的に意見を吸い上げました。その声を反映させ、その進捗状況をその都度、経営層に伝えていきました。

横塚裕志:百田さん、ありがとうございます。それでは攻守所を変えましょう。2004年に着手した東京海上日動の抜本改革のプロジェクトです。
当時ですが、東京海上の商品種類もかなり複雑になっていて、自動車保険なのにお支払いする保険金が100種類を超えるまでになっていました。何でもかんでも特約を付けてしまう、という状態でした。例えば、自動車保険なのにホールインワン保険も付けてしまうというかんじになっていたので、それは良くないよねと。それで経営戦略として、「商品をシンプルにして、サービスのスピードや正確性を上げ、顧客満足度の向上を図ろう」というものを全社で掲げたのです。ただ、ここにも議論があって、お客さんが欲しいのだから、ホールインワン保険だって付けておけばよいだろうとか、特約がいっぱいあった方がお客さんの満足度は高いだろうという意見もありました。
さて、この抜本改革の目標を実現するために、情報システム部門からは、1) 全代理店の100%オンライン化 2) 契約手続きの100%ペーパーレス化 3) 保険料の100%キャッシュレス化 4) 顧客単位の処理(←契約単位)の4つをお願いしました。
そのうちのオンライン化ですが、2004年までは代理店が早見表をみながら電卓で計算していたから間違いも結構発生していました。申込書も当時は手書きでしたが、これをペーパーレス化にすると。保険料も当時全部、現金でした。代理店はお客さんから現金で保険料を頂いて、月に1回、保険会社に精算するという手順。それをお客さんから直接振り込んでもらうスタイルに変更し、徹底して合理化を図ろうと。これもめちゃくちゃ反対があって、現金で払いたいお客さんはどうするのかとか。また、保険代理店の中には兼業というか、片手間にやっている方もいるけれど、計画では100%オンライン化して、すべての代理店に端末を買ってもらうことを推進しようというもの。そうしたら営業からは、そんな無理強いしたら他社に流れてしまうと言われたりもしました。代理店への教育問題をどうするのかなど多くの指摘がありました。
ただ、私が居た情報システムからすると「100%導入してもらわなければ良いサービスは不可能だ」と主張しました。それで情報システムから経営側にお願いしたのは、1) 商品のシンプル化によって、特約保険数の半減と約款構造の部品化を図る 2) 代理店のビジネスプロセス改革を進める 3) 全代理店の改革状況の点検および推進を図る といったことでした。

これらを推進するにはやはり3年くらいの期間がかかりました。
次に、ビジネス部門にお願いしたのは、1) 新ビジネスプロセスの設計、それにシステム要件の記述とシステムテストの実施 2) 代理店への説明と資料づくり、それに教育、サービスインの判断でした。
情報システム部門の役割としては、1) マルチセンター、クラウド、モバイル、データ分析などの新技術の採用方針策定 2)全体アーキテクチャ、顧客データベースの設計 3)情報セキュリティの対応方針、リスクコントロール方針の策定です。
以上のことを進めました。

ここからは百田さんからの質問に答える形でセッションを進めたいと思います。

百田牧人:ありがとうございます。私たちのアプローチがボトムアップ型だったのに対して、横塚さんのプロジェクトはトップダウン型だったと言えると思います。トップダウン型ですと、担当者レベルになればなるほど、熱量が下がりがち、同時にやらされ感が出てしまったり、疲弊感が出てしまったりしがちですが、そうした問題に対して、どのように乗り越えていったのでしょうか。

横塚裕志:もともと、どうやってスタートしたかの話しでは、私がIT企画部長に就任したその年の7月、システム担当役員に新しく就任した専務がいました。その彼が代理店を回ってみると、どうも現状のシステムの使い勝手が悪いと言っているよと。もっと改善すべきだと私に言いに来た。それで、私はシステムの使い勝手が悪いのは事実ですが、わざわざ使いづらく作ったのではなくて、商品そのものが複雑だからですと。それだけではなくて、保険料の支払いの仕方にも12回分割もあれば、月払いでも実は3通りも4通りもあって、最初から毎月均等に払うものもあれば、3か月分払って次からは毎月払いというものあると説明したわけです。
専務は、じゃあ、商品をシンプルにしたら、情報システムもシンプルに出来るのかと言われて・・・。その辺がきっかけで改革がスタートしたのです。その専務はその後、社長になるのですが・・・。
その後、いろいろな部門にヒアリングをかけたら、実行するには相当、大変だということが分かるわけです。それで、会社として20人くらいの規模の「抜本改革部」を創設。その専任部隊で4年、5年の中期計画を立案した。
商品部に至っては、これまで積み上げて開発してきた商品にケチをつけられたと思ったのか、商品をシンプルにすることになかなか同意してくれない。その説得に1年かかりました。「分かった。それで一つひとつ順番に手を付けるから」というから、いやいやそれではダメですと。いっぺんに直してもらわないと困ると断固突っ張りました。
もうひとつ、現場で事務を分析して、問題があればサポートする女性の部隊があったのですが、彼女らがこの改革案に賛同してくれた。その力が物凄く大きかったですね。その後、全国に700ある営業所の人たちがこの話しを代理店にしにくいくわけです。いついつまでにオンラインをスタートするからと現場は必死だったと思います。それ以降、紙は受け付けないと、トップで決めてしまったので、みんな従わざるを得ない形でしたね。

百田牧人:リーダーシップによる抜本改革であり、それに女性によるサポート部隊の支援を得られたということですね。当然、改革に伴う痛みがあったと思われますが、その辺は。

横塚裕志:相当、ハレーションがありましたね。実際、5万くらいあった代理店が3万くらいに減った。他社に吸収されるとか、解約されるとか、辞めてもらうとか、もの凄い血が流れたのです。ただ、苦労してやった代理店はその後、成果が出て来るわけですよ。現に、すべてオンラインにした結果、紙を配る必要もないし、保険料のトラブルも激減した。3年の間、「新しい風運動」というのがあって、各支店で切り替え率の競い合いが始まって、あそこの支店は何%達成とかというお祭りモードで進展していった。お祭りに浮かれて仕方なくやっていた側面もあったのかも知れませんけれど。

百田牧人:プロジェクトでの対話の状況はどうでしたか。

横塚裕志:部門を超えたチームが何十と存在していました。もちろんチームの中ではいろいろな対話がなされたと思います。チームには商品もあれば、システムもあれば、キャッシュレスもあればですからね。ただ、とても良いものが出来た。印象に残っているのは、ある社員たちの提案です。それまでは、社員が使っていたシステムの一部を代理店に使ってよいよ、というかんじだったのが、それじゃあ、ダメだと。代理店のオンラインを考えるチームがそれは逆ですと。代理店のためのシステム作りを目指すべきだと、言ってくれたりしました。
あるいは、200くらいの代理店さんに行って、どうしたら良いかとヒアリングしてくれたチームも生の声を拾って来てくれた。そうした作業は我々社員にとっても新鮮だったですね。どのようなアプリケーションがあれば代理店さんの役に立てられるか、とか。そうしたプロセスが社員の質を上げていったのかも知れませんね。

スピーカーのご紹介

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百田牧人(ももた まきと)さん
(略歴)
1999年 住友生命保険入社。京都支社、契約サービス部、営業企画部、商品部などを経て、現在は情報システム部 デジタル・イノベーション推進室に所属。前所属では、営業用端末の更改に係る業務改革プロジェクトに携わり、そこで得たプロジェクト・働き方のあり方の知見を書籍化。

以上

デジタルビジネス・イノベーションセンター(DBIC)が活動を続ける理由

設立エピソード

2014年、世界で起きていることを肌感覚で確かめるため、半年をかけて世界を回った。そこで感じた危機感を日本企業に正しく伝え、行動を促すための研究会を発足するために奔走。26社の名だたる企業と世界有数の大学と連携し、デジタルビジネス・イノベーションセンター(DBIC)の立ち上げとともに我々のイノベーションジャーニーが始まった。

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