【横塚裕志コラム】子会社モデルの終焉

まさに、大量生産・大量消費の時代に生まれた「子会社モデル」が、行き詰まりを見せている。私の周りでうめき声が聞こえるのは、システム子会社、研修子会社である。
20世紀の時代は、金融機関を中心にシステム開発の規模が膨れ上がり、大量な開発量を低コストでこなすために子会社モデルは作られた。その文脈では正しい判断であったと思う。ITベンダーに発注するより子会社で開発した方が安くできるうえに、本体でSEを採用することは人事制度上の難しさもあった。

しかし、「大量のシステム開発」という意義が薄れ、「デジタル戦略を企画する」ということが求められる時代に大きく変わって、この「子会社モデル」が機能しにくくなってきた。本体の「言うまま」に黙ってコードを書けと言われてきた人たちが、急に、デジタル戦略を経営目線で企画しろ、と言われてもそれは難しい。

同じような文脈が「研修子会社」にも起きている。20世紀の画一的な文化、すなわち、売り上げ増やしてコストは低くという文化では、研修の意義も画一的で、新入社員研修から10年目研修、管理職研修など研修会社に委託しておけば済むような状況が続いていた。それであれば、本体が担当する意味も少なく、また、グループ全体を一括して請け負う子会社にすれば効率的であった。

しかし、ここにきて、DX人材を育成するように経営から人事部に指令が下りてくる。例によって、研修会社に「DXコースをよろしく」と頼んでみることになるが、もともとDX人材の定義が甘いから適切な研修かどうかがわからない。育成自体を本体から切り離したその瞬間から、新しい時代に向けた新しい能力を持つ人材を育成する力が本体から消えてしまっている。一方、研修子会社に急にDXコースを企画しろと言ってもそれは難しい。本体の方にご提案なんておこがましい、というのはシステム子会社と同じで難しい。

この子会社モデルの問題は、たぶん他の分野でも起きている可能性が高い。時代が大きく変化したときは、色々なところに矛盾が生じる。現状の子会社は現状のビジネスの継続に注力するとして、新しい時代に必要なものは、過去にとらわれずに新設していく発想が求められていると感じる。

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