【横塚裕志コラム】「目的」と「手段」の混同はなぜ起きるのか

「目的」と「手段」をはっきり区別することは、戦略やマネジメントにとって不可欠な基本ですが、日本人はこのことが苦手のようです。

特に、DXとかITの分野では、かなりこの混同が広く行われている。私は、長く情報システム部門でSEをやりましたが、4、5回くらい何度も何度も似たような顧客データベースを構築させられた経験があります。ビジネス側の方が交代する都度、売り上げを増やすには顧客データベースが必要で、そこに集約された情報を使って拡販するのだ、とおっしゃって、システム開発を依頼してくるのです。
しかし、4、5回とも活用されずにお蔵入りとなりました。「目的」が「顧客データベース構築」になってしまい、本来の目的の拡販に関するアプローチが貧弱だったことが原因です。顧客データベースは「手段」であって「目的」ではないのに、混同されてしまったいい例です。

「デジタル庁」は、「目的」なのでしょうか、「手段」なのでしょうか。もちろん、「手段」です。では、デジタル庁が目指すマイナンバーの活用、自治体システムの標準化は、「目的」なのでしょうか。これも「手段」ですが、メディアなどでは「目的」のように書かれています。明解に「手段」ですが、日本中丸ごと「目的」と「手段」を混同しています。政府や自治体がデジタル化を進めることで、「目的」とする何を目指すのか、がはっきりしていません。これでは、巨額の投資をしても私の顧客データベースと同じような「お蔵入り」の運命をたどる可能性が大きいと言わざるを得ません。

「データを活用した新しいビジネス」とよく聞きますが、「データの活用」は「手段」です。「手段を使った新しいビジネス」とは意味のない言葉です。「AIを活用したビジネス」も同様です。手段を語っているだけで、意味をなさない言葉です。
しかし、これらの言葉があまりにも巷に氾濫しているのが気になります。「目的」が設定されていないものを目指すわけにはいきません。だから、そういう掛け声のプロジェクトは成功しません。「目的」が設定されていないことを目指そうとしてもそれは無理ということに早く気が付く必要があります。

なぜ、日本人は「目的」と「手段」を混同してしまうのか。それを自覚しなければ、永遠にその迷路の中で遅くまで残業を続けても何も生まないという結果に苦労し続けることになりはしないか、と危惧しています。
なぜ、混同してしまうのか。それは、「目的」を考える能力がないからでしょう。「手段」を考えるのは簡単ですが、「目的」を考えるのは難しい。難しいからやめてしまうのでしょう。

しかし、「目的」を考えることができない民族はきっと滅びます。大きな額のDX投資をしても「目的」がはっきりしなければ、それは達成されません。その基本中の基本がないがしろにされている状態を早く脱しなければいけないと思います。

では、どうすればいいのか。それをDBICでは、「EGB研究会」で議論しています。

他のDBIC活動

他のDBICコラム

他のDBICケーススタディ

一覧へ戻る

一覧へ戻る

一覧へ戻る

このお知らせをシェアする