【横塚裕志コラム】変革は 格闘技 勝つか負けるかだ

ビジネスの根幹、あるいは組織の根幹などを「変革」しようと試みることは、大勢の反対派を説得することや、変革案の実行そのものの難しさもあり、とてつもなく厳しい状況に挑戦することだ。私は、その試みは「格闘技」に似た緊張感や、勝つ難しさを含んでいると思っている。だから、生半可な気持ちでは前へ進めないし、理論的で周到な準備が欠かせない。

デジタルの脅威や持続可能性の視点から、自社のビジネスの変革が求められてから時間が経過しようとしているが、本質的な変革に着手できている企業は見当たらない。 加えて、縦割りの組織体制や「管理主体」の組織運営の問題点も明らかになってきている。

さて、「変革」しなくてならない状況の中で、「変革」に挑戦する人財が育っているのだろうか。そこに、老婆心ながら不安を感じている。

私の問題意識は、「変革」に挑戦する人財を応援するプログラムが日本に必要なのではないだろうか、ということ。それも、仲良しクラブ的な懇談会ではなく、「変革」を試みるための能力を鍛える「厳しい練習場」が必要ではないだろうか。「変革」は格闘技なので、当然、格闘する練習が必須だと考える。
変革人財は、会社の指示命令に従順ではなく自分の意志を明確に持つ人として自己変容が進んでいることを前提にした上で、現状を維持したい保守派を論破できるレベルの理論構築、そして議論に勝ち抜く強い意志、課題が山積するプロジェクトを実行する「諦めない力」、仲間を集めて反対派を駆逐する政治力、などの能力が必要だ。もちろん、それを一人でカバーすることは難しくても、チームとして全能力を兼ね備えることは必要だ。そういう力を鍛える場が今あるだろうか。
他社の方との交流の場は数多くあるが、真剣に勝ち負けを競いながら議論する場があるだろうか。苦しい修羅場に立ち向かう練習の場があるだろうか。そういう練習なしに戦う力が身につくのだろうか。

ネコをトラにすることを考えないといけない。ネコとトラの差は何で、ネコがどのような学びを受け、どのような練習をすればトラになるのか、考えないといけない。日本に、そういう学びと練習ジムを備えた場をつくる必要を感じる。急に英雄が生まれることはないし、世代交代にすべてを託すのは責任放棄だと思うから。

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