【横塚裕志コラム】日本の常識は 世界の〇常識

日本のスポーツの常識では、まずは「走り込み」で下半身を鍛えることが当たり前になっている。野球でも、解説者はよく「走り込みが足りないからケガをする」などと語っている。しかし一方で、米国などで「野球には走り込みは必要ない」という理論もある。ダルビッシュ選手も必要ないと考えているとの報道を目にしたことがある。必要ないという根拠は、瞬発力が必要な野球では長距離のランニングは必要ない、とか、下半身を鍛える方式は他にもいろいろある、とか論理的だ。

私も大学時代は体育会ホッケー部で活動していたが、練習中は水を飲むなとか、合宿で疲労のため食欲がなくなっていると腹筋をやれとか、今考えれば不条理なことをやっていた。先輩から言われたことを鵜吞みにして、先入観や固定概念に縛られて、論理的に合理性がある練習とは真逆のことをしていたようだ。

つまり、日本の常識が必ずしも論理的には正しくないことがあるということだ。
例えば、システム開発のプロジェクトにおいての成功かどうかの判定は、QCDが予定通りに行われたかどうかで行う、というのも「常識」っぽいが実は違っている。
成功の判定は、ビジネス目標を掲げたプログラム全体での評価で行うものだというのが欧米の考え方だ。プログラムの中の一つの手段であるシステム開発だけを取り出して評価するものではない。計画するビジネスの改革や改善を達成したのであれば、一つの部品が少々遅れようが、コストが膨らもうが、たいした問題ではない。一方、システム開発のQCDが完全でも、ビジネスの改革が進まなければ成功ではない。なぜこれを実施しているのか、というWHYを第一に考え、それを中心に据えて全体で論理的に評価することの方が正しいように思う。

変な日本の常識はまだまだたくさんある。営業という職務、残業が普通、ゼネラリスト全盛、SDGsバッジ、月末締め翌月末支払い、社内に持ち帰り検討、IT素人のCIO、攻めのDX・守りのDX、・・・・。
世界レベルでは不条理な日本の常識を日本人の頭の中から排除することが、日本の将来にとって大事なことではないだろうか。そのための「学び」が多くの日本人にとって必要だと思われる。まずは「学んで」、日本の常識を疑い冷静に評価することから始めないと、世界の競争の中で勝ち抜いていくことは難しいように思う。世界の競争は世界標準のルールで動いているゲームだから。

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