【レポート】DBICイノベーション部長会 第4回 :特別ゲストを迎えてソーシャルイノベーションプロジェクトが始動

2019.06.25

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2019年6月24日(月)、東京・日本橋のDBIC Tokyoにて「DBICイノベーション部長会 第4回 :特別ゲストを迎えてソーシャルイノベーションプロジェクトが始動」を開催しました。

今回の部長会では特別ゲストとして国立障害者リハビリテーションセンター病院の西牧謙吾病院長を特別ゲストにお迎えし、DBIC副代表の西野弘がディレクターを務める発達障がい・睡眠障がいをテーマにしたDBIC主導のソーシャルイノベーションプロジェクトをキックオフしました。

また、野田聖子衆議院予算委員長・前総務大臣・発達障害の支援を考える議員連盟副会長にもご登壇いただき、本プロジェクトやDBICメンバー企業に向けた激励スピーチを頂戴しました。本レポートは西牧先生のお話の中から、発達障がいの基礎知識や企業としての関わり方についての部分を中心に内容を再構成してお届けします。

※本サイトの表記ルールでは原則「障がい」と表記しますが、固有名詞の一部の場合は「障害」としています


西牧 謙吾 病院長

発達障がいは学齢期児童だけの問題ではない

西牧:私のキャリアは少し変わっていて、小児科医として大学の医学部を出た後、平成2年に大阪府堺市で衛生行政に入っています。今でこそ保健所は地方自治体の管轄ですが、当時は厚生労働省直轄の出先機関だったのです。

保健所の主業務は医療と福祉であり、障がい、高齢、感染症、食品衛生、環境衛生、健康診断といった側面から総合的にその地域の情報を把握する機関です。その時から私は、国民一人ひとりが健康な生活を確保するための「社会の仕組み」をつくることをキャリアの目標にしてきました。

その後、縁があって文科省の障がい児教育の研究機関である国立特別支援教育総合研究所に入り、約10年間にわたって教育行政を経験することになります。更に平成25年には国立障害者リハビリテーションセンター(国リハ)で発達障がいの診療部を立ち上げる際に誘って頂きました。ここでまた小児科の臨床医に戻ったわけです。

発達障がいに取り組むにあたって私が注力したのは、児童精神科だけではなく、下は1〜2歳の乳幼児から、上は60歳くらいまでの成人の事例も扱うことです。一生現場の医者になる、と決意して国リハに来たのですが、3年経つと病院長となり、2年前からは発達障害情報・支援センター長を併任しています。

学級崩壊から始まった日本の発達障がい対応

西牧:発達障がいの診断やカウンセリングのために医療機関を受診した日本の患者数は、平成14年度で約3.5万人でしたが、年々増加し、平成29年度には23.3万人となっています。これは、いきなり患者が急増したのではなく、潜在的に社会の中にいた発達障がいの方々が、平成の時代の中で徐々に困るようになり、診断を求めるようになってきたと考えるのが妥当でしょう。

平成に入って小学校を中心に「学級崩壊」という現象が起こりました。この原因となっているのが、当時アメリカで調査が進んでいた「発達障がい」と呼ばれるものではないか、と日本の医者も考え始めたのがこのころです。

平成14〜15年頃に超党派の議連が結成され、平成16年に「発達障害者支援法」が成立します。その際、日本では学級崩壊を通して発達障がいが認知された経緯があるため、学齢期の児童への対応が最優先とされました。その調査研究を行う役割は、当時私が在籍していた国立特別支援教育総合研究所になりました。一方、乳幼児期や青壮年期の発達障がいに対応すべき国家機関がなかなか決まらず、最終的に国リハにその役目が振られることになったわけです。

知的障がいに加えて自閉症の症状があり、日常生活を日々送る上で様々な困難を抱えている方々が発達障がいの中心となる方々です。一方で、設立時の発達障害者支援法では、発達障がいに他の多くの関連する障がいも含まれ、対応する法律や障害者手帳の種類も異なっています。そのため、発達障がいについて議論するときは、「どの部分」の話をするのか明確にすることが重要になってきます。

広がり続ける発達障がいの範囲

西牧:近年、発達障がいという概念がどんどん拡大しています。例えば親御さんにとって「育てづらい」と感じるお子様がいらっしゃったとき、「この子は発達障がいではないか」と相談を受けるようになりました。学級崩壊まで行かなくても、学校で落ち着かなかったり、不登校になったり、引きこもりになるのも発達障がいではないか、疑われます。

就職試験に受からなかったり、就職しても長続きしない方々も、国リハの発達障がい外来にたくさん相談に来ます。こういう労働年齢になってからの発達障がいは、昭和の時代には目立ちませんでしたが、平成になって多く顕在化しました。私はこれを、企業の体力がなくなって、こういった方々にポストを用意したり、研修やアドバイスをすることができなくなったのが原因ではないかと考えています。

私にとって象徴的な事例をご紹介します。ある有名な銀行で重役まで務めて定年退職された男性が、行政経由で診察に来ました。その方は独身でお母様と同居されていたのですが、お母様が認知症を患って施設に入り、ひとり暮らしになった途端に、家事が何もできない、通帳の所在もわからない、日常生活が成り立たない、ということで行政にピックアップされたわけです。このようなケースではいくら早期発見、早期対応が重要と言っても難しい。顕在化してしばらく経ってから、いかに早く見つけるか、というアプローチが必要になります。

複合問題家族を打破するイノベーションにこそ、企業の参入を

西牧:別の典型的な特徴として、発達障がいの患者本人だけではなく、支援するはずの家族がそれぞれ問題を抱えているケースがよく見られます。

例えば患者本人以外にも、兄は引きこもり、弟は軽度の発達障がい、両親は離婚していて母親は乳がん、祖父は他界していて祖母は認知症、といったパターンです。これだけでも、障がい児療育、シングルマザー、不登校、就労、病気療養、貧困、介護といった問題が複合的に組み合わさり、時と共に変化していきます。

これを解決するには社会のイノベーションが必要です。既存の機関連携はこういった複合ケースに対応するようにはできておらず、例えば児童虐待であれば児相に、と個別の専門機関に割り振っていくことしかできませんが、この方法では解決することができません。対応には医療・教育・福祉の枠を超えた情報共有の仕組みが必須です。この領域こそ、大企業の皆様に協力をお願いしたい。


出席者全員でプロジェクトをキックオフ

日本の障がい者福祉を支えているのは、零細の社会福祉法人です。高齢者福祉については国の方針もあり、複数の都道府県にまたがるような大規模法人が増えましたが、障がい者福祉は未だに昭和のやり方です。例えば、障がい児への対応の核となるのは市区町村で個別の児童向けに専門家が作成する「障害児支援利用計画」と呼ばれる資料で、これを元に1年間、その児童に対してどのような支援を行うかを計画します。

ところがこの資料のクオリティが一定ではなく、使われている言葉も統一されていない。用語を統一し、データベース化し、AIで分析することで、全国で一定水準の効果がある支援ができるようになるのではないか、と私は考えています。企業の皆様のご支援をぜひお願いします。

やり直しのきく社会を実現するために

西牧:もうひとつ、現代日本おいて重要なイノベーションは「やり直しがきく社会」の実現です。

先程も触れましたが、昭和の時代にどうして発達障がいが顕在化しづらかったかというと、企業が教育コストをかけていたからです。当時だって学生は勉強なんてしなかったのです。でも、中卒でそのまま当時の基幹産業に就職したり、社内にある学校や夜間高校に通うことができました。それが壊滅してしまったのが平成の30年間です。

そのためには後期中等教育機関、高等教育機関の再編成が絶対に必要です。普通に職業人として生きていくのであれば、高等学校レベルの勉強をしっかりしておけば大丈夫だと私は考えています。一方で、平成の間に日本の大学進学率は急速に伸びて50%を超えています。

そうなると発達障がいを持ったお子さんの親も「大学に行かせないと就職できないのではないか」と不安になって進学させますが、大学を出たところで就職ができない。それなら、例えばもっと職業高校を活用したらよいのではないかと私は考えています。

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本プロジェクトに対する激励のスピーチをしてくださった野田聖子衆議院予算委員長・前総務大臣・発達障害の支援を考える議員連盟副会長


プロジェクトディレクターを務めるDBIC副代表の西野弘


DBIC代表の横塚裕志

※部長会の後半で行われたDBICのプログラム説明は、別途イベント情報としてご案内します。

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