2018.03.05

 本連載では、デザインシンキングの活用に取り組まれている皆様の参考にしていただくために、先進的な事例を「実践者」を通してご紹介します。

 CASE 03でご紹介するのは大日本印刷株式会社(以下、DNP)の山口博志様と松尾佳菜子様です。2013年4月にサービスデザイン・ラボ(以下、SDL)を設立、サービスデザインの方法論を研究しながら、様々なパートナー企業との共創プロジェクトにおいてデザインコンサルティングビジネスを推進され、さらにDNP社員向けにデザインシンキングを浸透させる為のエバンジェリスト活動を手掛けられています。


松尾佳菜子様(左)と山口博志様(右)

本社のど真ん中に「DNPらしくない場所」を作る

– 素敵なワークショップスペースですね。どのようなコンセプトでデザインされたのでしょうか。

山口:ひとことで言うと「DNPらしくない場所」を作りました。ここをDNPの新たな共創活動の起点としたい。そういった想いを込めてデザインしました。

 我々はクライアントの商品開発やサービス開発、経営ビジョンの策定、新規事業開発等を支援しています。世の中を見渡すと様々な商品やサービスがあふれかえり、その中で勝ち抜くアイデアを見つけるのは困難です。そこでビッグアイデアを生み出すためには、常識に囚われすぎない「4歳児ぐらいのマインドに戻れる場所」が必要だと思うんです。頭の半分は常識的な考え方、もう半分は妄想や本能、そんな状態を生み出せる環境を作りたいと思っていました。


カーペットをはがして床の下地がむき出しになったスペース

松尾:もともとの床はカーペットでしたが、山口さんの一声で全部はがしました。壁の落書きを残したり、壁に工具をぶら下げたりして、ものづくりのプロセスを楽しめる空間を演出しています。日常とは切り離された、アイデアがたくさん生まれそうな空間を目指しています。

生活者視点での共感からアイデアは生まれる

– どのようにアイデアを生み出されているのでしょうか。そのコツを教えてください。

山口:改善のアイデアでなく、意味の転換を伴うようなビッグアイデアが必要な場合、多様なメンバーが持つ様々な視座を引出すことで、「自分だけでは発見できない、ユニークな着眼点」を見つけるところから始めます。その為の工夫としては、(1)情緒的な体験価値を重視すること、(2)メンバーの中でヒエラルキーを作らずにフラットに進めること、(3)他者のアイデアを否定するのではなく乗っかりあって進めること、の3点を大切にしています。

 例えば「オリジナル技術を使った新サービスを考えるプロジェクト」に取り組むとします。業界に精通している人や、技術の専門家だけでアイデアを考えると、常識に縛られやすくなり、面白いアイデアが出にくい傾向があります。そこで生活者や他業界の人をデザインプロジェクトに迎え入れることで、「玄人だけでは見つけづらい、生活者視点で共感できる情緒的な着眼点」を見つけられるよう意識的に進めて行きます。また生み出されたアイデアは、その提供価値が伝わるように都度可視化して、価値の共有を図ります。

– 「情緒的な体験価値」とはどのようなものでしょうか。

山口:例えば自転車を例にした場合、機能的価値とは「早く移動できる」といった誰に対しても同じ価値のことを指します。一方で体験価値とは「小さいお子さんとスーパーに行く時間が楽しい」といったそれぞれの人に合った価値を指します。我々としては、生活者自身が気付いていない価値を見つけ、一連のサービスとして叶えることで、「こんなことが叶うなんて! ありがとう!」と生活者から言われるような体験づくりを目指しています。

デザインシンキングの研修だけではうまくいかない

– そのようなワークショップを開催するためには、ほかの社員にもデザインシンキングを理解してもらう必要があると思うのですが、社内向けの研修などもされているのでしょうか。

山口:1万人いる事業部の全従業員を対象にデザインシンキングのトレーニングを実施しています。受講者が自由に研鑽をするいわゆる「研修」では無く、あくまで業務全般をデザインシンキングで実行していくための、反復を強制する「トレーニング」です。

 我々が目指すことは全社員の思考をデザイン型に切り替え、企業文化を変革し、今までの仕事のやり方をデザインシンキング型で作り直すことです。そのためには一方的にプロセスを伝えるだけでは上手くいきません。

 まず全社員にデザインシンキングのマインドセットと行動指針を示し、ワークショップに参加してもらい、実際にディスカッションをしながらプロセスやツールを体験してもらいます。次に各部門にSDLのメンバーが加わり、その組織の仕事のやり方をリデザインします。その組織に適した仕事の進め方をデザインシンキングで作り直すことにより、プロセスを学ぶだけではなく、実際に考え方や行動を変革するところまでサポートしています。

 最終的にはSDLのメンバーがいなくても、全社員がデザインシンキングで考え行動することができるようになることをゴールとしています。すでに変化の兆しが見えてきています。

 この活動がスタートできたのは、ちょうどデザインシンキングに理解がある経営層がいたことが幸運でした。トップダウンでデザインシンキングを推進する号令をかけると同時に、我々がボトムアップでデザインシンキングのトレーニングを進めることにより、事業部が一体となって変革に取り組むことができています。

デザインシンキングは現代のビジネスパーソンに必要な基本思考

– デザインシンキングのトレーニングは全社員に必要なのでしょうか?

山口:デザインシンキングの本質は、プロセスを学ぶことではなく、思考方法を変えることだと考えています。そして製造の人も、営業の人も、企画の人も、同じ考え方で行動できることが必要です。そのためにデザインシンキングの考え方を社内に普及させ、社内の共通言語にすることが必要であると考えています。現代人に必要なOS(Operating System)のようなものでしょう。

松尾:人々の興味がモノからサービスに移っている世の中で価値を生み出すには、事象を注意深く観察・共感し、そこから課題を洞察し、試行錯誤を繰り返していくデザインシンキングの考え方が必要不可欠です。デザインシンキングは現代のサラリーマンに必要な基本スキルであり、誰もがあたりまえのように持つべき思考だと考えています。

独自のサービスデザイン手法を確立

– 山口さんは、その共通言語となるデザインシンキングをどのように学ばれたのでしょうか。

山口:DNPに入社した当時は、様々な企業の顧客体験のデザインを自己流で手掛けていました。今思い返せば、デザインシンキングで実行していた気がします。

 その後、2010年から研究開発部門に移り、ユーザーインタフェース/ユーザーエクスペリエンスの研究活動に取り組み始めました。その活動の中で「サービスデザインの教科書:共創するビジネスのつくりかた」の著者である慶應義塾大学経済学部の武山政直教授に出会い、武山研究室と共同でDNP独自のサービスデザイン手法を確立しました。この方法論は国際学会でも採択され、SDLの原点となっています。

仲間と一緒にアイデアを生み出す

– 松尾さんもSDLの立ち上げメンバーですが、学生時代にデザインシンキングに関係する勉強をされていたのでしょうか。

松尾:いえ、私はお笑い芸人になりたかったんです(笑) 就職活動の時も、企業訪問と並行してお笑い芸人のオーディションを受けていました。友達が笑う顔や、「うわーっ!」と驚いている顔を見るのが好きなんです。自分も楽しむし、周りのみんなも楽しませたい。そういう思いが私の根底にあります。…残念ながら芸人になることは諦めましたが(笑)

 学生時代は触覚を中心としたヒューマンインタフェースを専門に、虫が手を這う感覚を再現するグローブ型の触覚提示デバイスを作る経験をしました。目指したのは「気持ち悪いけど、気持ちいい」という体験を提供することです。国内外の展示会で、デバイスを使って多くの人にアリやゴキブリを這わせましたが、驚きから笑いに変わる人、ずっとやっている人、泣いちゃう子供もいて、おもしろいものを作ったという実感を持ちました。なによりも、研究室のいろいろな特技を持った人とチームを組んで1つの目標に向かう経験が楽しかったです。

 就職では、DNPは印刷会社だけど印刷業務だけではなく情報とコミュニケーションに関わる仕事が多いことを知り、そのギャップに興味を持ち就職したいと思いました。入社して情報系の研究所に配属されましたが、仲間を作ってみんなで新しいものを創り出す仕事をしたいというその想いは変わらず強く、社内の同年代で集まって自由研究をしたり、女子美術大学と共同研究をして海外の展示会に出したり、社外の人たちと夜集まってアイデアを出して、アイデアコンテストやハッカソンに積極的に参加していました。その成果の1つがLINEで妊婦さんに座席をゆずる「&HAND(アンドハンド)」です。

2017年12月11日(月)~15日(金)に東京メトロ銀座線の最後尾車両内で実施された「&HAND」実証実験のPR動画

山口:松尾の活動はアイデアを生み出すだけには留まりません。コンテストで「&HAND」のアイデアが評価されてから、そのアイデアをDNP社内に逆輸入し、社内でもプロジェクトに賛同する仲間を集め、投資対象となる新事業として可能性があると判断してもらうことに成功しました。その結果、東京メトロ、LINEと連携して実証実験を実現することができました。

 DNPのような受注業務が中心の企業では、主体的に生活者向けの新事業を立ち上げた経験が少ないので、社内から出たアイデアを事業化することはハードルが多いと思います。しかし社外のコンテストで評価され優勝しているアイデアには説得力があります。「&HAND」のように研究開発(以下、R&D)の立ち位置として外部のアイデアを持ち込むというスタイルは、企業がイノベーションを実現する1つの有効な手段になるのではないかと考えています。

R&Dを時代に合わせてリデザインしたい

– 今後SDLではどのような活動をされるのでしょうか。

山口:いまの時代に必要とされる新たなR&Dのスタイルを築きたいと考えています。SDLは単なる研究開発に留まることなく、プロフィットセンターとしての機能を持つ研究開発部門というスタイルに挑戦しています。今後は更に大きな規模のビジネススケールへと貢献できるよう工夫を重ね、R&Dの新たなサービスモデルを確立し、ゆくゆくは多くの企業へそのスキームを拡げていきたいと考えています。

 社会環境が急激に変化している現代において、技術の研究だけをしているR&D部門はすでに時代遅れだと思っています。従来R&Dが持っている”意味”を変えたいと思っています。例えば「オタク」で説明すると、一昔前は「オタク」と言うと少数派の独特なコミュニティを指していましたが、現代ではこだわりがあるおしゃれな人というイメージに変わり、市民権を得て多種多様な「オタク」が存在しています。時代の変化と共に、従来「オタク」が持っていた意味が変わったのです。同じように企業の一部門であるR&D部門も、その存在意義を転換して全社に普遍的に存在するような形になるべき時が来ていると思います。

– 最後に、山口さんと松尾さんが考える「デザインシンキングとは何か」を教えてください。

山口:デザインシンキングって気持ちいいんですよ。今までにないアイデアが生まれますし、周りの賛同を得ながら仕事を進めることができます。自分の思考方法を変えるだけで、いつもの仕事を違った視点で見ることができる、まるで「ポジティブに働くためのOS」のようなものだと考えています。

松尾:「現代のビジネスマンにとってあたりまえになってる思考法」だと思います。アップデートすべきOSという言い方でもいいですね。特別な思考方法や手法ではなく、これからの社会ではみんながデザインシンキングで考え、新しいアイデアを生み出すことがあたりまえになります。仲間と一緒に楽しみながら世の中を変えていける、そんな素敵な思考法だと考えています。

プロフィール


山口 博志 Hiroshi Yamaguchi

大日本印刷株式会社 情報イノベーション事業部 C&Iセンター 第1マーケティングコミュニケーション本部 サービスデザイン・ラボ 部長

2000年入社。エンジニア、プランナーとして様々な業種業態の企業を対象に商品開発、ブランド開発、Web・店舗・工場でのサービス開発支援を担当。R&D部門移籍後、技術開発と並行しサービスデザイン手法の研究を開始。2013年「サービスデザイン・ラボ」設立。方法論のR&Dと並行し、サービスデザインによるイノベーション創出支援ビジネスを推進。キリン株式会社、日本たばこ産業株式会社、株式会社世界文化社、街づくりプロジェクト等でデザインプロジェクトの設計~ファシリテーションを手がける。2016年10月より現職。


松尾 佳菜子 Kanako Matsuo

大日本印刷株式会社 情報イノベーション事業部 C&Iセンター 第1マーケティングコミュニケーション本部 サービスデザイン・ラボ

2008年入社。サービスデザイナー/ファシリテーターとして、プロジェクトのデザインマネージメントや社内デザイン思考エバンジェリストとして活動しながら、「&HAND」プロジェクトなどに参画。