2017.07.07

国家戦略としてデザインシンキングを活用しているシンガポール。DBICではその骨子となるプログラム策定を担当したフレッシュリー・グラウンド社のティエリ・ドゥ氏、シャン・リム氏をお招きし、4日間のデザインシンキング・ワークショップを開催しています。


シャン・リム氏(左)とティエリ・ドゥ氏(右)

2017年6月に第9回目と10回目のワークショップ開催のために来日したおふたりにDBICがインタビューを行い、シンガポールにおけるデザインシンキング導入の背景や事例を伺いました。

– シンガポールが国家戦略として2010年にDTIA(Design Thinking & Innovation Academy)を創設してデザインシンキングの導入を開始した際に、おふたりが舵取り役を担ったと伺っています。

リム: DTIAは2010年にスタートし、デザインシンガポール協議会からの指名を受けて私とドゥのふたりがその骨子を策定しました。DITAは民間、公共両方の分野においてデザイン主導のイノベーションを起こすための基礎を学び、実地研修を通して既存ビジネスを変えていくための組織です。

6年間でシンガポール内で約500の企業、人数にして約6000人がDITAのワークショップやセミナー受講しました。これを日本向けにカスタマイズしたのがDBICで行っている4日間のデザインシンキング・ワークショップです。


2017年6月に開催されたデザインシンキング・ワークショップの模様

– デザインシンガポール協議会は政府の組織ということですか?

ドゥ: はい。デザインシンガポール協議会はナショナルデザインセンターの一部門です。ナショナルデザインセンターは設立当初、シンガポールの情報通信省が管轄していましたが、最近になって通商産業省管轄に変わりました。企業への導入に比重が置かれるようになったためです。

リム: ナショナルデザインセンターはデザインに関連する活動を統括していて、例えばシンガポールデザインウィーク、シンガポールファッションウィークなど、デザインに関するイベントも開催しています。デザイン系の教育機関の卒業イベントにも関与しています。

ドゥ: 管轄省庁の変更に伴いDITAそのものは2016年で活動停止となっています。DITAの活動履歴についてはこちらこちらのページでご確認いただけます。

デザインシンキングはビジネスツールである

リム: 2010年のDITA発足当初はデザインシンキングは「コミュニケーションのツール」だと捉えられていたのですが、6年間の活動で「利益を生み出すもの」だと再定義されました。そのため、通商産業省が主導して企業での活用が進められることになりました。「ビジネスツール」として扱われるようになったということです。


2017年6月に開催されたデザインシンキング・ワークショップの模様

– シンガポールでのデザインシンキングはどのように変化してきているのでしょうか?

ドゥ: 企業がデザインシンキングを導入、活用するためのサポートが更に活発になっています。政府からの補助金も増加しています。

リム: 今まではデザインシンキングのノウハウを啓蒙することが中心でした。現在はすでにノウハウを持っていることが前提になっているので、それを使って収益を上げることが関心事になっています。

シンガポール政府は5年毎に施策の見直しを行い、内容が社会の実情に合致しているかをチェックする仕組みがあります。10年前に計画された施策がずっと有効であり続けることは難しいですからね。

– 受講生にはシンガポール政府から70%の補助金が出ると聞いて驚きました。現在でも実施されているのでしょうか?

ドゥ: はい。私たちのデザインシンキングコースは政府の認定を受けていますから、受講生には労働省から年間最大500ドルの補助金が出ます。これについては今後5年から10年は継続する施策だと聞いています。

シンガポールの永住権をもっていること、またはシンガポールで設立された企業であることが条件になりますが、個人でも企業でも申請することができます。シンガポールは国土が狭くて天然資源がありませんから、人的資源を最重視しているのです。

リム: シンガポール政府は生涯学習を推進しています。国民全員が自分の能力を定期的に再構築して、キャリアに有効なものを維持していくためです。たとえば大学時代に学んだことが、その後ずっと有効とは限りませんよね。

政府は5年毎に従業員が職業訓練を受け、最大70%の補助金を出すことを約束しています。もちろんデザインシンキングに限らず他の訓練コースを選ぶこともできますが、少なくともこの5年間はデザインシンキングは補助金の対象になっています。

デザインシンキングによって大きく変わった裁判所

– 実際に企業でデザインシンキングを導入した事例をご紹介いただけますか?

ドゥ: シンガポールで最初にデザインシンキングを導入したのはヘルスケア、小売、サービス、食料、飲料、金融、ITといった領域です。中でもDBSやOCBCといった銀行では、デザインシンキングに基づいた顧客体験専門の部門を新設しました。フランスのエレクトロニクス大手であるタレス社も、シンガポールにデザインシンキングを重視したイノベーション拠点を設立しています。

リム: 他の具体的な事例としてはシンガポールの国家裁判所が挙げられます。

インタビュー時の模様

2012年に国家裁判所の建て替えが行われたのにあわせて、ペルソナ定義に基づいたサービスの再設計が行われました。一般の人にとって、裁判所に行くときにどこの窓口に行ったらよいかわからないですよね。以前の国家裁判所のウェブサイトは情報が多すぎて目的の情報が見つけられませんでした。

デザインシンキング導入後にリニューアルされたウェブサイトのトップページでは上部に「もしあなたが(IF YOU ARE)」という選択肢が大きく表示されていて、「刑事訴訟を起こしたい」「民事訴訟を起こしたい」「裁判を傍聴したい」「弁護士です」といった目的から選ぶだけで目的のページにすぐたどり着けます。特に重要だったのは国家裁判所が組織全体を変革した点で、ウェブページはその一端に過ぎません。


シンガポール国家裁判所のウェブサイトより

– 裁判所が率先してデザインシンキングを導入するというのは日本では想像がつかないので、たいへん驚きました。おふたりが国家裁判所のトレーニングもご担当されたのでしょうか?

ドゥ: はい、私たちが直接指導しました。2010年当時の国家裁判所主席判事だったTan Siong Thye氏がデザインシンキングの導入に非常に積極的で、先方から依頼があり、シニアクラスの裁判官全員が受講しました。

先程お話した2012年の裁判所の建て替えにおけるビルの設計においても、デザインシンキングを使った顧客視点のレイアウトを取り入れるサポートを私たちが行いました。「裁判所ですらデザインシンキングを導入できたんだ。他の省庁や公共サービスでだってできるはずだ」とデモンストレーションする意図もあったと聞いています。

Tan氏は2015年に、最高裁判所の副長官に昇格したので、国家としても彼を高く評価したことになります。

メディカルツーリズムをターゲットに

– それは痛快ですね。実際に他の公共サービスでの導入は進んだのですか?

リム: 次に導入が早かったのはヘルスケアの領域ですね。

ドゥ: シンガポールではすべての病院がデザインシンキングの研修を受けました。今では病院には必ずデザイン部門があって、顧客体験の設計や改善を行っています。

リム: 病院で何か新しいプロジェクトを始めるときは、必ずデザインシンキングのツールを使っています。シンガポールでも高齢化は深刻で、多くの病院が患者で溢れています。混雑しすぎているのです。


2017年6月に開催されたデザインシンキング・ワークショップの模様

そこで、患者の本当のニーズはどこにあるのかをリサーチするツールを開発し、病院内のスペースや建物の設計、そしてサービス内容に反映させています。シンガポールの企業は「シルバーダラー(Silver Dollar)」と呼ばれる高齢者の資産を狙っていますから。

日本も同様だと思いますが、定年退職後に自由に使える資産を使っていただくために、高齢者の顧客体験向上は大きなビジネステーマなのです。

ドゥ: 加えて、病院が混雑した際にトリアージ的に、患者の症状の深刻度によって並び順の入れ替えもしています。優先列のようなものがあります。他にもKhoo Teck Puat Hospital では車椅子に配慮して通路側にでっぱりのないフラットタイプの洗面台や棚を導入するなど、ユーザーフレンドリーな設計で有名です。

– 病院へのそういった指導は政府が行っているのでしょうか?

リム: いいえ、政府はあくまで補助金を出すだけで、どのコースを研修に取り入れるかは病院次第です。病院の方からデザインシンキングの受講希望があったということになります。


2017年6月に開催されたデザインシンキング・ワークショップの模様

ドゥ: 一方で、病院の改革がシンガポール政府の戦略のひとつであることも事実です。大きく分けて医療サービスの輸出と、メディカルツーリズムの誘致があります。特に後者については、タイとインドネシアという競合があり、シンガポールがアジア圏におけるメディカルツーリズムの最優先候補になることを目指しています。

世界各国のユーザーのニーズを把握するにあたり、デザインシンキングは有効なツールだと受け止められています。そのためヘルスケアはデザインシンキングの取り入れにたいへん積極的でした。その次が金融業界でしょうか。

アジアナンバーワンを目指すシンガポール

リム:観光産業もですね。

– たしかに、以前はシンガポールと言えばマーライオンのイメージでしたが、今はマリーナベイサンズがシンボルになってだいぶ印象が変わりましたね。

ドゥ: マリーナベイサンズは最初の設計では単なる3つのタワーだったんです。それを、建築家が途中でモシェ・シャフディに変わって、彼が「タワーの上部をプールでつないでみよう」と思いついたんです。それがなかったらあれほど象徴的な建築物にはならなかったでしょうね。


マリーナベイサンズ

リム: プロモーションの面でもマリーナベイサンズは上手でした。デビット・ベッカムを観光大使に任命して、インフィニティプールの宣伝をさせ、一気にラグジュアリーなイメージ獲得に成功しました。

– 先程ドゥさんからヘルスケアに続いて金融部門がデザインシンキングを取り入れたと伺いましたが。どうして金融機関だったのでしょうか?

ドゥ: シンガポールがアジアにおける金融ハブになるためです。香港とインドネシアが競合です。銀行としての最高の顧客体験を実現するためのツールとしてデザインシンキングが選ばれています。他にもチャンギ国際空港やシンガポール航空においても、業界でナンバーワンになるためにデザインシンキングを取り入れています。

シンガポールから見た日本

– 日本では高齢化とセットで少子化が大きな問題になっています。シンガポールではどのような対策をしているのでしょうか?

ドゥ: シンガポールでも少子化は深刻です。合計特殊出生率は日本より低く、2014年で日本が1.42だったのに対してシンガポールは1.25です。保険省でも少子化対策にデザインシンキングを導入し、どうして夫婦が子供をつくらないのかを調査し、いくつもの施策を実施しています。主に保育施設の拡充です。

– 実際に少子化は改善したのでしょうか?

ドゥ: 最近だとシンガポールでは政府が「最低でも子供は3人つくろう」というキャンペーンを実施していて、それが合言葉のようになっています。実際に私の周りでも3人子供がいる夫婦が多くなってきています。最低でもふたりですね。


インタビュー時の模様

国全体としての合計特殊出生率が大きく改善するような結果までは出ていませんが、シンガポールに行って頂ければ、3人の子供を連れた夫婦を多く見られますよ。公共の育児支援サービス拡充の結果だと思います。

リム: 高齢化はシンガポールで「シルバー津波(Silver Tsunami)」と呼ばれていて、政府の包括的な対策についても発表がなされています。 Japan-Singapore Symposium(JSS)という定例のシンポジウムがあり、日本とシンガポールの外務大臣が会談を行って、少子高齢化対策について話し合っています。

– なるほど。日本とシンガポールは根本から大きく異るように感じてしまいますが、共通の社会課題もあるのですね。ところでシンガポール人から日本はどのように見られていますか?

リム: 間違いなくポジティブな存在です。シンガポールは日本から多くのものを輸入し、影響を受けています。プロダクトや日本食は特にです。日本企業の進出も旺盛で、シンガポールの地元新聞「The Straits Times」でも、「Singapore a talent hub for Japanese companies」という記事が出たばかりです。

ドゥ: デザイン業界においては日本のデザインはトップクラスの品質として尊敬されています。焼き物のような伝統的な工芸品の職人技は素晴らしいです。私は元々フランスで育ちましたが、フランスでも日本のクラフトマンシップに対する尊敬は非常に高いです。


2017年6月に開催されたデザインシンキング・ワークショップの模様

リム: グラフィックデザイナーの原研哉さん、ファッションデザイナーの三宅一生さん、プロダクトデザイナーの深沢直人さんはシンガポールでもよく知られた日本人デザイナーの一例です。日本はシンガポール人にとっての観光地としてもトップクラスの人気を誇っています。特にスキーが有名です。もちろん「カワイイ」文化も。学校が休みの期間はシンガポール〜日本間の航空便は大混雑です。

Innovate or Die

– DBICのワークショップで毎年来日するようになって、何か気づいたことはありましたか?

ドゥ: 当初は日本はイノベーション先進国だと想像していました。ところがDBICでワークショップを開催するようになってから、日本企業には変化が必要なことを知りました。これまでドメスティックマーケットしか見てこなかったのが、今後はグローバルなマインドセットが必要になります。

ワークショップの準備のためにDBICの西野副代表とシンガポールで初めてお会いした際に、このインタビューでご紹介したようなお話をしたところ「これはすごい。日本は遅れている!」と驚かれていたのを覚えています。


写真は2017年6月に開催されたデザインシンキング・ワークショップの模様

また、男女平等についても日本は少しシンガポールと異なりますね。批判したいのではなく、文化的な違いだと思っていますが。

リム: 観光客として買い物や食事を楽しむには日本は何の問題はありません。「おもてなし」は完璧に機能しています。ただし、企業文化には少し違和感を覚えるところがあります。

2014年に初めて日本でDBICとデザインシンキングイベントを開催した際、70人くらいの来場者数を想定していたのですが、実際には110人ほどご来場いただきました。しかしその110人の中で、会場内で私を含めて女性がたった4人しか居なかったのです。

先程ドゥが男女平等の話をしたのもここに起因するでしょう。私は赤坂見附エリアのホテルに宿泊しているのですが、道を歩いているオフィスワーカーを見ても、シンガポールに比べると男性ばかりで女性が少ないです。


2017年6月に開催されたデザインシンキング・ワークショップの模様

もうひとつワークショップを通して気づいたのは、日本ではトップダウン型の意思決定が主流で、ヒエラルキー構造になっているということです。もっと若い社員の新しいアイデアや異なる視点を取り入れてはどうでしょうか。企業のオープンネスは、日本が改善できる大きな要素だと思います。

– シンガポール人と比較して日本人受講生が特徴的なところはありますか?

ドゥ: 日本のみなさんは非常に熱心に受講していただくので毎回感心しています。集中力が高く、強い意志で参加してくださっています。


2017年6月に開催されたデザインシンキング・ワークショップの模様

リム: 一方で、真剣なあまり、「楽しむ」心を忘れてしまっているように感じるときがあります。デザインシンキングは継続的なイノベーションのためのマインドセットを獲得することが重要であり、手順を覚えることが主題ではないので、もっと気軽に、楽しく参加していただけたらなと思います。

– 最後にDBICのメンバー企業、そして広くは日本のビジネスパーソン全体に対してメッセージをお願いできますでしょうか。

ドゥ: 「Innovate or Die」ですね。マインドセットを改革し、イノベーションをスタートできない企業は存続できないでしょう。

リム: これまでは「大きな魚が小さな魚を食べる」時代でした。だから、日本の大企業は「自分たちは大きな魚だから安泰だ」と安心できていたのかもしれません。今は「素早い魚が遅い魚を食べる」時代に変わりました。大きさは関係ありません。

40年前に自分たちの親の世代がやっていたのと同じビジネスをやって、成功し続けられる可能性は低いです。私たちと一緒にデザインシンキングを学び、新しい時代に備えましょう。

講師紹介


ティエリ・ドゥ氏(左)とシャン・リム氏(右)

 ティエリ・ドゥ(Thierry Do)
フランスの高速鉄道のメーカーで2階建て車両という「新しい旅客体験」を 創造する工業デザイナーとして務める。デザイナーや政府のコンサルタントとしてのキャリアを積み、デザイン思考を通じシンガポール企業の競争力を高めるために、ふたつの国家プログラムを主導した稀少な経験を持つ。

 シャン・リム(Shang Lim)
広告、マーケテイングとコミュニケーションを通じて、インターナショナル ブランドや地元企業と、概念化からデザインの導入、視覚的商品の製品化の陣頭指揮を執り、ブランドの存在感を創造してきた。様々な業界でのデザイン戦略に精通、多くのプロジェクトを主導し、レクチャーのみならず、実践の現場で豊富なコンサルティングを行ってきたプロフェッショナル。

本プログラムの詳細

・デザインシンキング・ワークショップ

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