2018.04.23

 tsutaeru(ツタエル)は京都の伝統工芸品である西陣織の新しい価値を創造した製品のプロデュースを行っています。代表作となる西陣織ベビーシューズは、2016年にブータン王国の王子にも贈答された逸品です。

 西陣織の研究者としても実績をお持ちである代表の尾田美和子様に本拠地である香川県高松市にてインタビューを実施。DBICのTPF(タレントプラットフォーム)メンバーの一員としてのオープンイノベーションの可能性を伺いました。

西陣織とは、紋技術である

尾田:西陣織が他の産地の織物と決定的に異なるのは、織る技術ではなく、「紋」と呼ばれる設計図をつくる技術です。西陣織固有の織り方は存在せず、無数の織り方の中から、その柄を一番美しく仕上げるために最適な折り方を決めるのが紋技術(織物の設計図)です。

 経糸と緯糸の交点に何色をのせて模様にしていくのか。最適な風合いにするためにはどう設計するのか。西陣では平安時代以前から宮廷に納める織物がおられており、全国から優秀な職人が集まっていたため、織物の新しい技術が生まれ、独自の進化を続けてきました。

 今では私の研究を西陣の職人さんたちにも認めていただき、西陣の行事事に招待していただけるようになったり、他の研究者から西陣織について問い合わせが入ったりするようになりました。京都府が昭和30年以降に実施している大規模調査「西陣織業調査の概要」2016年度版の指導・監修者のひとりとして、京都以外の人間として初めて私が選ばれたのも光栄です。ただ、ここまでの道のりは平坦ではありませんでした。

研究者への道のり

尾田:生まれは兵庫県です。祖母が呉服屋を営んでいたため、幼い頃から着物を着ていましたし、西陣織以外にも全国の着物や染め物に慣れ親しんで育ちました。中学校からは香川県に移り住み、徳島文理大学薬学部の秘書として就職。仕事をしながら着物の歴史、和装業界の現状について話をしていると、教授から「その知識をアカデミックに体系づけたら、多くの人を救えるかもしれない」と背中を押されました。

 香川大学大学院に入り、西陣織を研究対象に選びました。西陣は他の産地と違って組合がしっかりしていて、既に研究実績もあり、古い文献も保管されているためです。ところが、いざ現地に行ってみると、そこは保守的な職人さんの社会で「他県の大学院の者が何をしに来た?」と、すぐには受け入れてはいただけませんでした。

 そこで、約400ある織屋さんに毎日電話をかけて営業活動をし、毎週香川から京都に出向いてアンケートを回収し、少しずつ信頼関係を築いていったのです。そうしてまとめ上げたのが「西陣機業の分業と戦略」という修士論文。西陣機業というのは西陣織の織屋さんの総称です。西陣織の織屋さんと約21工程に分かれる下請け業者の関係性とが製品成果(売上)にどのような影響を及ぼすか。を初めて詳細に調査したものです。

どうして香川で西陣織なのか?

尾田:その過程で非常に気になったのが、世界最高峰、一子相伝とも言われる西陣織の職人が、織物業界の不況にあえぎ、子供や孫に対して「この仕事を継ぐな」と言い聞かせている事実でした。

 研究を通してここまで信頼をしてもらえるようになった西陣の職人さんに、恩返しをしなければならないと思いました。そこで、これまでの研究を活用し、職人さんたちに安定的な仕事供給の仕組みをつくる方法を考えました。その目的を果たすためには、新しいビジネスを興すことが必要だという結論に至りました。

 とはいえ私は一介の大学院生で、ビジネス面では何の実績も能力もありません。そんな中、別の調査で出会ったミシンを修理する技術者から中国・四国地方の縫製工場のリストを入手する機会があり、そこに地元香川の工場が扱う「ベビーシューズ」という言葉を見つけたのが転機になりました。縁起物、人生の節目、ハレの日に使われてきた西陣織は、赤ちゃんの第一歩にぴったりです。

 縫製工場で西陣織を使ったベビーシューズの試作品をつくっていただいたら、素晴らしいできあがりで感激しました。ところが量産をお願いしたら、思っていた縫製と違う。OEMを中心に薄利多売で生産をすることを得意とした工場ですから、量産時にはギリギリOKの品質で手早く仕上げるのが当たり前だったのです。つくり直しをお願いしても「あなたは縫製のことなんて知らない」「あなたの仕事はもう受けることができない」と断られ、このときが一番行き詰ったタイミングでしたね。

ものづくりのために

尾田:そのときに思い出したのが、自分で書いた修士論文でした。西陣織の織屋さんと下請けの関係性を分析し「緊密で無駄のない情報交換が製品成果に大きな影響を与える」と結論づけているんです。でも私は縫製工場に対して全くそんなことはできていませんでした。試作品がよかったから「これで量産してください!」と生地を渡しただけです。これでは良いものができるはずがありません。

 そこで他の縫製工場を訪問し、徹底的に縫製のことを学びました。最も力を入れたのが「希望する縫製技術を実行してもらうために、どのような表現方法(言葉)で職人さんに伝えればいいのか」という点です。職人さんたちと何度も話をして、目の色が変わる瞬間、よくぞきいてくれたという表情、職人さんから繰り返されるその言葉を私は必死になってA4の裏紙に書き留めていきました。

 そうやって磨き抜いた観察力と言葉でベビーシューズの細部に至るまで縫製の指示をまとめた指示書を作成しました。後日、その指示書を持って改めてベビーシューズ工場に出向き、再度製造していただいたところ、満足行くクオリティでの量産を実現することができました。

最も困難で、最も重要なこと

尾田:今になって思えば、祖母は先駆的な女性起業家でした。祖母が呉服屋を始めるにあたっては、戦後になって娯楽に使えるお金が増えてきたことを察知して夜の世界で働く女性たちに無料で自分の着物を貸し出し、着付けをするサービスを始めたと聞いています。すると、女性たちは自分の着物が欲しくなりますよね。けれど高価なのでなかなか買えない。

 そこで個人信用に基づく売掛で着物を販売したそうです。かなりリスクの高いビジネスに思えますが、代金はすべて回収できたとのことです。祖母は「商売で一番たいへんだったのは、相手を信用し、自分を信用してもらうこと」と言っていました。信用商売という信念を貫いた祖母の企業家精神。それが、私にとっての原点になっているように思います。

 ブータン王子への西陣織ベビーシューズ贈呈についても、何のツテもなく正面玄関から領事館に出向き、1年以上の交渉をして実現しています。デパートにベビーシューズ専用棚をつくっていただく過程でも、コネクションがなかったので警備員に捕まったこともあります。大学院で西陣織の研究を始めたときのように、すべて飛び込み営業でここまで来ました。

西陣織を未来につなぐ

尾田:私は西陣織と地域を繋いでいくことが仕事です。まだまだ地方には和装以外の潜在市場があるし、西陣織を必要としている企業はたくさんあります。西陣織は無数に織り方があり、織屋が持っている織機も異なります。企業様がどんなものが欲しいのか、何が必要なのかを伺い、私が持つ西陣織の知識、知見、人脈を活用した内容が提案できればと思います。

 西陣織は縁起物であり、ハレの日、節目に使用されてきた日本を代表する織り物です。企業様の周年記念品や贈答品、海外からのお客様の手土産に最適なものがご提案できますので、ぜひご相談ください。

 また、現在は「地域から西陣を応援する!」というコンセプトで西陣織の名刺入れをご購入いただき、そのご様子を写真に収めて広げていく活動も行っています。

 さらに、西陣織を美術分野や建築分野に幅を広げて提案しています。美術教育や生活空間のなかで、西陣織の新しい可能性について私にできることがあれば、ぜひお話させていただきたいと思っています。

プロフィール


尾田美和子 Miwako Oda
tsutaeru(ツタエル)代表
兵庫県出身。香川大学大学院における西陣織の研究を経て、2015年6月伝統工芸品を用いた製品開発や仕掛けづくり等を行うプロデュース会社、tsutaeruを設立。
これまでの研究と西陣織の知識、知見、人脈を生かし、持続可能な伝統工芸品産地の構築と日本に腕のいい職人を残すことを目指し、西陣織と地域を繋ぎ新しい価値を創造するプロデューサーとして活動。
香川ビジネス&パブリックコンペグランプリ(2015年)、第15回全国商工会議所女性起業家大賞特別賞(2016年)、ソーシャルプロダクツアワード受賞(2017年)等を受賞。